季節を感じる眺めが嬉しい街外れの小さな酒場から
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06/14
レシピのない店
 あまり記録といものをつけない。ノートやメモ、日記帳に至るまでおよそ記録というものにマメさがない。唯一つけてるのは帳簿、これは税務署に対するものなのでしょうがなくつけている。
 では余程記憶力があるかというとそんな事は無い。ただ忘れても気にしない、大雑把なだけです。

 師匠が弟子に、あるいは母が子に料理を教えるのに明文化はなくてもよい。毎日の暮らしを共にし共に作業をしていれば口伝で充分伝えられる。だいたい明文化が必要なら文盲の時代に料理は伝わらない。
 もっとも今の人の距離、親子でさえ暮らしを共に出来ないならば明文化も已むを得ない。今時は家族がそれぞれ勝手に出来合いの食事を摂るらしいからメールも明文化に一役かっているのだろうか。

 ほぼ毎日買い物に行く。安くて美味そうな食材はたいがい旬のものだ。なので未だに自分で旬を憶えられないでいる。それはともかくウロウロ眺めながら、あれが欲しいなあ、ならこれと組み合わせたらどうだろうなんて何となく献立が決まってくる。
 里芋と豚肉を煮てやろうとか思うと、どちらを主にするか、炒め煮か蒸し煮か、味付けや薬味はどうしようか考える。毎日即興のレシピが出来上がるが、記録には残さない。きっと来年の里芋は違う里芋だし自分の気分も違うだろうから。

 もし誰かに料理を伝えるとして記録だけでは恐らく足りないだろう。暮らしを共にし作業を共にし食事を共にする以上に伝える術にはならないと思う。
 暮らしの中で育まれた料理ならば、時には郷土の料理に、時には我が家の料理として継がれていくだろう。毎年違う里芋でも違う料理法を選んでもその家の料理になるはずだ。

 それが面倒ならファミレスやコンビニに行くといい。毎年違う里芋を、漂白して分量通りの味を付け毎年同じ料理にしてくれる。煩わしい関係も起こらない、とてもニューウェーブだ。

 手っ取り早くて便利で簡単なコンビニ弁当が馴染まず、面倒で不便で煩わしい、そんな事もひっくるめた毎年違う里芋が美味いと思う。どうやら私は子供の頃からオールドウェーブだったようだ。 
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